近年のAI技術は目覚しい技術革新を遂げ、その応用範囲は様々な広がりを見せています。AI技術はその汎用性の高さとインパクトの大きさを非常に高く評価されていますが、実際のところビジネスの現場での導入は容易ではありません。残念ながら、技術のもたらす恩恵と、ビジネスのニーズの間には大きなギャップが存在しているのです。
AIの効果は限定的:パレートの法則による説明
私たちは、そのギャップをパレートの法則で説明できると考えています。パレートの法則とは、別名80:20の法則と呼ばれ、これは価値の80%は上位20%によって生み出されるとされる主張です。
図1: パレートの法則(80:20の法則)
このパレート法則の図の中において、AIがどこに主に効果を発揮するかというと、上位20%に入らないロングテールな問題に対して効果を発揮します。AIが得意とするのは、複雑なパターンや相関関係の発見であり、単純なルールでは実現できないような複雑なワークフローを実行することが得意です。例えば、ユーザーとの会話の中で、そのユーザーの細かい要望を理解し、それを考慮に入れて返答するというのは、単純なルールベースでは実現できず、AIが必要になってくる部分になります。
しかし、パレートの法則によれば、実際には価値のほとんどはごく僅かなワークフローの実行によって達成可能であるとされます。本当に実現する価値のあるワークフローはごく一部のに集約されているのです。そして、現実的には、この部分の実現にはわざわざ高度なAIを用いなくても既存手法でも十分に対応可能であることが多いのです。
例えば、旅行を予約をするシステムを考えてみます。最近では、そのようなサイトにチャットボットでのお問合せ回答機能が備わってるものも多いです。そのチャットボットの対話エンジンとしてAIを用いれば、予約アシスタント機能としてユーザーのニーズに合わせたプランを提供ことが可能です。ユーザーの目的や嗜好にあった非常に満足度の高いプランを提供できるという点において、そのAIアシスタント機能は利便性が高いです。しかし一方、ユーザーの中には既に予約プランを決めてしまっている人や、シンプルに特定の宿だけ予約したい人などもおり、それらのユーザーはわざわざAIアシスタントに問い合わせるまでもなく、サイト上で予約を済ませてしまいます。経験則的な話になってしまいますが、実際にはそういったユーザー割合は多く、まさに8割のユースケースがAIではなくシンプルな予約システムで賄えると言っても過言ではありません。この場合、AIアシスタント機能は便利ではあるが、それはシンプルな予約システムでは対処できない、2割のマイナーなケースに対してのみ有効であるという結論になります。
AIの導入はコスト効果に合わない
つまり、本質的な問題はAIの得意とする領域と本当に価値のある部分が一致しないことにあるのです。AI導入には大きな追加コストがかかりますが、それで得られるのは全体の価値のうちわずか2割程度となり、そのコストに見合う効果が得られるかどうかは慎重な検討が必要です。一般的に、既存手法(例えば通常のシステム)は開発運用コストが低いため、コストパフォーマンスが高いことが多いです。そのため、まずは既存手法の導入が先であり、その後さらなるメリットが見える場合に限りAIの導入を検討すべきです。
図2: AIの導入によってかかるコストと発揮される効果の比較
BigTechは規模の経済による恩恵を受ける
一方、Big Techなどの海外の大手IT企業の中には、AIの先端技術の導入に成功し、収益を得られているところも見られます。先ほど示したように、AI導入はコストパフォーマンスの観点からは劣位であり、収益化のハードルが高いです。では、なぜ一部の企業だけがAIの恩恵を享受できているのでしょうか。この理由としてあげられるのが、規模の経済です。規模の経済とは、ユーザー数が増えるほど、単位ユーザーあたりの開発運用コストは下がるという主張です。この規模の経済によるコスト減の効果が、AI導入による追加コストを十分に引き下げた場合、AI導入のメリットが生まれます。例えば、ユーザー数が1万人であれば、その利用率を1%向上させても効果は薄いですが、1億人であれば1%の向上は非常に大きなインパクトをもたらします。そのため、大規模のユーザーを抱える一部のサービスはAIを積極的に活用することで、その恩恵を十分に享受でき、その他の企業との競争格差が一方的に拡大することになります。
図3: 規模の経済によるコスト削減効果
LLMの登場によるゲームチェンジ
しかし、大規模言語モデル(LLM)の登場は、このAI導入のコストパフォーマンス問題に、根本的な変化をもたらしました。従来のAIの仕組みでは、特定のワークフローに特化したものを開発しようとすると、特定の学習のデータを用いてそのタスクに対するFine-tuningが必要で、開発運用に必ずコストがかかっていました。しかし、大規模言語モデル(LLM)ではそれが必要ではなくなります。LLMは高度な汎化性能を持ち、自然言語で指示を与えることによって操作が可能であるため、個別タスクに対するFine-tuningを行わなくても、指示の仕方次第で多彩なタスクが実行可能です。
例えば、翻訳のタスクであれば、今までは大規模なテキストを用いて学習させた基礎モデルに、対訳コーパスなどを用いてFine-tuningを施すことで翻訳器を構築していました。一方、ChatGPTのようなLLMを用いた場合、翻訳タスクに合わせたFine-tuningを行わずとも、「以下の文を英語に翻訳してください:」というプロンプトで指示することで翻訳タスクを実行することができます。この手法により、翻訳モデルの開発運用なしに機械翻訳サービスを実現することが可能になりました。
図4: 翻訳タスクにおける、従来のAIとLLMのAIの違い
LLMが解決するコスト効果の問題
つまり、OpenAIやその他AI企業の提供する仕組みを用いれば、彼らの有する規模の経済のメリットをそのまま活用することができ、あらゆるタスクを低コストで実行できるようになります。これにより、従来は人材の問題や資金に問題によりAIの開発運用を実現できなかった中小企業やスタートアップもAIの恩恵を享受しやすくなり、製品やサービスの競争力を向上させることができるようになったのです。私たちは、ここに大規模言語モデルを用いたAIが広く活用される未来を見出しています。AI活用のコスト的な敷居が下がったことで、業務におけるあらゆるタスクにおいて、AIを活用した生産性向上が可能です。
政府や企業は、このような新たな技術の登場による構造的な変化を理解し、最適な戦略を立てる必要があります。今後は、このような背景のもとでAIを上手く活用することが、事業の成功を大きく左右することになるでしょう。
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